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一年間放置したサイトに再び戻って来てみました。
今週末は天気もくもりがちで寒いので展覧会巡り。
Fondation Cartier
César Anthologie par Jean Nouvel
Musée d’art moderne de la Ville de Paris
Objectivités, La photographie à Düsseldorf
Le musée du quai Branly
The Mingei Spirit in Japan
Upside Down - Las Arctiques
フランス8年目にして初めての、夏のフランス旅行。
行く先は古城で知られるロワール川流域をたどってナント、ブルターニュに抜けるルート。
初日の午前、パリから南西に200キロ移動。24時間耐久レースで知られるル・マンでまず一休み。
Le Vieux Mansと呼ばれる旧市街には、14世紀後半の面影を色濃く残す小さな家々と石畳の小道が続く。
その中心に位置するSaint Julien大聖堂は、11世紀から15世紀まで5世紀に渡って改築・増築を繰り返して建てられたロマネスクとゴシックの二つの異なる様式が共存するもの。
旅の2日前に訪れていたChartresの大聖堂も落雷による火災で二つの鐘塔が異なった様式を採るもの。写真は青のシャルトルと呼ばれるステンドグラスを前に柱に落ちた色のない光に気をとられるた瞬間。

再び移動。乗馬学校cadre noirで知られるSaumurに到着。
町並みが白い石壁、黒いスレートの屋根、レンガ色の煙突に統一されてくる。教会の尖塔のとがり方がかなり唐突になってくる。
その後はゆったりと流れるロワール川に沿ってナントを目指す。
広い川原は白い砂で覆われ、のんびり泳いだり木陰でくつろぐのにちょうど良い環境。
日本では見たことがない穏やかな川は家族連れで程よく賑わっていた。

夜、ナントに到着。パリからの移動距離およそ400キロ。
初めて訪れる街だけど環状道路からアクセスした時点からなぜか違和感で一杯。
なにか自然の法則に反して街がつぎはぎされた感覚が付きまとう。
聞くとナントは2000年あたりからかなり無謀な再開発の繰り返しで、ナント市民でもいまだに戸惑うほどの迷走状態なんだそう。
そもそも17-19世紀に奴隷商売買など新世界との交易で富を築き、”西のヴェニス”と呼ばれたほどの運河の街なのに、中心部の運河は埋め立てられ、そのアイデンティティを失ってどこか痛々しい。
翌朝、ナントの大聖堂へ。外観の修復がほぼ終わり、なぜか他のどの部分にも一致しない淡いピンクの姿を見せるファサード。
でも内部空間は見事。一切の装飾を持たずに上昇する柱がいさぎよく、白い石灰岩が滝のように見えてくる。

かつて造船場だった地区に建てられたPalais de JusticeはJean Nouvelのベル・エポックを象徴するかのような建物。
厳格なグリッド、Jenny Holzerのアートワークや連続する柱を反射する水面のような黒い床。柱の黒いペンキは内部に行くにしたがって濃く、ニュアンスを微妙に変えている。遠くからの眺めは一番薄い外側のペンキが色あせてすこしがっかりしたが、内部はやりたいことが明快に伝わってきて力強い。

でも、なにより新鮮な衝撃を与えてくれたのはFrancois Delaroziere+Pierre OreficeによるLes Machines de l'îles。
これはナント出身の作家、Jules Verneの« mondes inventés »、Léonard de Vinciのメカニックな世界、ナントの工業の歴史を造船場で実現したアートプロジェクトのこと。

主な作品であるLe Grand Elephantは高さ12m、幅8m、重さ45トン、450馬力。
3Dソフト、ライノセロスで忠実にモデリングされた木製のシェルを持つ鋼鉄のロボット。目も鼻も本物そっくりに動くし、鼻から水も出る。なんと黄色いおしっこもする。しかもそれが島を自由に歩き回る。
象の背中にはプラットフォーム。ダヴィンチを思わせる布製の日よけがたまらない。ローテクとハイテクが絶妙なバランスで融合されている。
造船場というサイトのオーラも単純にかっこよく、とにかく私にとっては2000年の渡仏以来一番はしゃいだ時間。

翌日、quimiacから南へ約100kmのÎle de Noirmoutierへ。
ここはカキと塩田、そこで取れるジャガイモでしられるロワ-ル地方南西端ののどかな島。平らな大地に広がるのはスレ-トではなくオレンジ色の瓦屋根の家々。
1971年に橋によって陸地とつながれたが、それまではMont Saint-Michelと同じように、満潮の時には海に沈み、干潮の時のみ通行可能な道路によってのみアクセスが可能だった。今でもここの通行は自己判断。夏には根性だめしで海に沈んだ道路に突入して海藻だらけで帰還する車が後を絶たない。
これでもかというほど新鮮な海の幸を堪能してからPornicを通ってまたquimiacに戻る。

この辺りの街の雰囲気はどちらかというと庶民的な観光地。ナントの人は社会的な階級によって、バカンスで南下する人と北上する人に分かれるらしい。南下するのはキャンピングカ-などを好む庶民的な階級、北上するのは大きい別荘を持っている比較的洗練された階級らしい。バイクで旅行しているとなるほどその変化が如実に見えてくるから面白い。

St-Nazaireの橋はディテ-ルが綺麗というタイプのものではないけれど、そのスケ-ルの大きさとロワ-ルの巨大な河口を乗り越えて空に飛び立つような感覚が何とも言えない。橋から見える、ドイツ軍によって立てられた巨大なコンクリ-トの塊などかなりシュ-ル眺めは磯子付近の京浜工業地帯を思わせる。
三日間滞在したQuimiacを離れ、ブルタ-ニュを北上することに。
まずは15世紀の小さな建物が並ぶ小さな港町Aurayを通って、巨石列で知られるCarnacへ。
先史時代(紀元前5000年)の文化的中心であったこの地には3000を超えるmenhir(ケルト語で長い石) やdolmen(卓石)がいたるところに見られ、数kmにも渡って巨大な石が整然と立ち並ぶその様は圧巻の一言。

その後、雨雲を先回りして高速を駆け抜け、ゴ-ギャンの愛したPont-Avenへ。彼が妻子を残してここに活動の拠点を置いた時、この村はわずか15の家と水車があるのみだった。静かに流れるAven河口は彼の影響で今では世界中からの観光客が絶えない。

Concarneauまで海沿いに走った後北上してブルタ-ニュを縦断、Monts d'Arréeへ。 massif centraleを思わせる荒涼とした風景の奥に見えるのはla Manche英仏海峡。

Locquirecまでくるとブルタ-ニュの匂いがうすくなってくる。西日を眺めながらLa Côte de granit rose(ばら色の花崗岩海岸)を進んでいくとちょうど日没の時間。あまりにも景色が綺麗なので宿の心配もせずにどんどん進む。Chambre d’hôte(民宿)を当てにしていたTréguier全くかすりもしない。本気で不安になり始めたころpaimpol手前の地点でそこから100km離れた街Pléneuf-Val-Andréの民宿にかろうじて予約。途中160kmでフラッシュたかれながら到着。宿のご主人が遅い到着にほんのりご立腹ぎみなので街に再び繰り出すこともできずそのまま就寝する。
翌朝気を取り直して東に向かうとplurienという街でなんとバイクのキャブレタ-のケ-ブルがバチッと切れる。なんと皮肉な街の名前。Plus rien…(もう何にもない。)自転車のケ-ブルで応急処置をとって再開。Saint-Jacques de la merの遠浅の絶景も無事パリに帰れるか不安で感動も半減。
やっと辿り着いたSaint-Malo。結局欲しいケ-ブルは見つからず、自転車ケ-ブルで4時間の高速道路の帰路が決定する。
Intra-murosから見えるSaint-Maloの海。今まで見てきたどのブルタ-ニュの街よりも賑やかで都会。土地の匂いといったもののが薄い街に旅の終わりを感じつつ最後の目的地。Le Mont Saint-Michelへ。
ヨーロッパでも潮の干満が最も激しいSaint-Malo湾。満月と新月のあと、引き潮によって沖合い18kmまで引いた潮が猛烈な速度で押し寄せ、かつては多くの巡礼者が命を落としたという言う。海に浮かぶ姿を再び取り戻すため、2010年を目処に橋のプロジェクトが進められている。
あまりにも人が多いので静かな秋に再び訪れることを誓ってUタ-ン。

雨の夜、Alençonを越えて高速をとばすと表面体温が奪われて、寒い・・を通り越して、痛い・・。でもしばらくすると痛いも通り越して熱く思えてくるから不思議。
Saint-Cloudのトンネルを抜けると、0時のしるしにきらめくエッフェル塔のファ-が私たちを迎えてくれた。
ちょうど出発から1週間。ひんやり冷たい空気にさらされて、現実に戻ったような、虚実に戻ったような不思議な感覚が残る。
行く先は古城で知られるロワール川流域をたどってナント、ブルターニュに抜けるルート。
初日の午前、パリから南西に200キロ移動。24時間耐久レースで知られるル・マンでまず一休み。
Le Vieux Mansと呼ばれる旧市街には、14世紀後半の面影を色濃く残す小さな家々と石畳の小道が続く。
その中心に位置するSaint Julien大聖堂は、11世紀から15世紀まで5世紀に渡って改築・増築を繰り返して建てられたロマネスクとゴシックの二つの異なる様式が共存するもの。
旅の2日前に訪れていたChartresの大聖堂も落雷による火災で二つの鐘塔が異なった様式を採るもの。写真は青のシャルトルと呼ばれるステンドグラスを前に柱に落ちた色のない光に気をとられるた瞬間。

再び移動。乗馬学校cadre noirで知られるSaumurに到着。
町並みが白い石壁、黒いスレートの屋根、レンガ色の煙突に統一されてくる。教会の尖塔のとがり方がかなり唐突になってくる。
その後はゆったりと流れるロワール川に沿ってナントを目指す。
広い川原は白い砂で覆われ、のんびり泳いだり木陰でくつろぐのにちょうど良い環境。
日本では見たことがない穏やかな川は家族連れで程よく賑わっていた。

夜、ナントに到着。パリからの移動距離およそ400キロ。
初めて訪れる街だけど環状道路からアクセスした時点からなぜか違和感で一杯。
なにか自然の法則に反して街がつぎはぎされた感覚が付きまとう。
聞くとナントは2000年あたりからかなり無謀な再開発の繰り返しで、ナント市民でもいまだに戸惑うほどの迷走状態なんだそう。
そもそも17-19世紀に奴隷商売買など新世界との交易で富を築き、”西のヴェニス”と呼ばれたほどの運河の街なのに、中心部の運河は埋め立てられ、そのアイデンティティを失ってどこか痛々しい。
翌朝、ナントの大聖堂へ。外観の修復がほぼ終わり、なぜか他のどの部分にも一致しない淡いピンクの姿を見せるファサード。
でも内部空間は見事。一切の装飾を持たずに上昇する柱がいさぎよく、白い石灰岩が滝のように見えてくる。

かつて造船場だった地区に建てられたPalais de JusticeはJean Nouvelのベル・エポックを象徴するかのような建物。
厳格なグリッド、Jenny Holzerのアートワークや連続する柱を反射する水面のような黒い床。柱の黒いペンキは内部に行くにしたがって濃く、ニュアンスを微妙に変えている。遠くからの眺めは一番薄い外側のペンキが色あせてすこしがっかりしたが、内部はやりたいことが明快に伝わってきて力強い。

でも、なにより新鮮な衝撃を与えてくれたのはFrancois Delaroziere+Pierre OreficeによるLes Machines de l'îles。
これはナント出身の作家、Jules Verneの« mondes inventés »、Léonard de Vinciのメカニックな世界、ナントの工業の歴史を造船場で実現したアートプロジェクトのこと。

主な作品であるLe Grand Elephantは高さ12m、幅8m、重さ45トン、450馬力。
3Dソフト、ライノセロスで忠実にモデリングされた木製のシェルを持つ鋼鉄のロボット。目も鼻も本物そっくりに動くし、鼻から水も出る。なんと黄色いおしっこもする。しかもそれが島を自由に歩き回る。
象の背中にはプラットフォーム。ダヴィンチを思わせる布製の日よけがたまらない。ローテクとハイテクが絶妙なバランスで融合されている。
造船場というサイトのオーラも単純にかっこよく、とにかく私にとっては2000年の渡仏以来一番はしゃいだ時間。

翌日、quimiacから南へ約100kmのÎle de Noirmoutierへ。
ここはカキと塩田、そこで取れるジャガイモでしられるロワ-ル地方南西端ののどかな島。平らな大地に広がるのはスレ-トではなくオレンジ色の瓦屋根の家々。
1971年に橋によって陸地とつながれたが、それまではMont Saint-Michelと同じように、満潮の時には海に沈み、干潮の時のみ通行可能な道路によってのみアクセスが可能だった。今でもここの通行は自己判断。夏には根性だめしで海に沈んだ道路に突入して海藻だらけで帰還する車が後を絶たない。
これでもかというほど新鮮な海の幸を堪能してからPornicを通ってまたquimiacに戻る。

この辺りの街の雰囲気はどちらかというと庶民的な観光地。ナントの人は社会的な階級によって、バカンスで南下する人と北上する人に分かれるらしい。南下するのはキャンピングカ-などを好む庶民的な階級、北上するのは大きい別荘を持っている比較的洗練された階級らしい。バイクで旅行しているとなるほどその変化が如実に見えてくるから面白い。

St-Nazaireの橋はディテ-ルが綺麗というタイプのものではないけれど、そのスケ-ルの大きさとロワ-ルの巨大な河口を乗り越えて空に飛び立つような感覚が何とも言えない。橋から見える、ドイツ軍によって立てられた巨大なコンクリ-トの塊などかなりシュ-ル眺めは磯子付近の京浜工業地帯を思わせる。
三日間滞在したQuimiacを離れ、ブルタ-ニュを北上することに。
まずは15世紀の小さな建物が並ぶ小さな港町Aurayを通って、巨石列で知られるCarnacへ。
先史時代(紀元前5000年)の文化的中心であったこの地には3000を超えるmenhir(ケルト語で長い石) やdolmen(卓石)がいたるところに見られ、数kmにも渡って巨大な石が整然と立ち並ぶその様は圧巻の一言。

その後、雨雲を先回りして高速を駆け抜け、ゴ-ギャンの愛したPont-Avenへ。彼が妻子を残してここに活動の拠点を置いた時、この村はわずか15の家と水車があるのみだった。静かに流れるAven河口は彼の影響で今では世界中からの観光客が絶えない。

Concarneauまで海沿いに走った後北上してブルタ-ニュを縦断、Monts d'Arréeへ。 massif centraleを思わせる荒涼とした風景の奥に見えるのはla Manche英仏海峡。

Locquirecまでくるとブルタ-ニュの匂いがうすくなってくる。西日を眺めながらLa Côte de granit rose(ばら色の花崗岩海岸)を進んでいくとちょうど日没の時間。あまりにも景色が綺麗なので宿の心配もせずにどんどん進む。Chambre d’hôte(民宿)を当てにしていたTréguier全くかすりもしない。本気で不安になり始めたころpaimpol手前の地点でそこから100km離れた街Pléneuf-Val-Andréの民宿にかろうじて予約。途中160kmでフラッシュたかれながら到着。宿のご主人が遅い到着にほんのりご立腹ぎみなので街に再び繰り出すこともできずそのまま就寝する。
翌朝気を取り直して東に向かうとplurienという街でなんとバイクのキャブレタ-のケ-ブルがバチッと切れる。なんと皮肉な街の名前。Plus rien…(もう何にもない。)自転車のケ-ブルで応急処置をとって再開。Saint-Jacques de la merの遠浅の絶景も無事パリに帰れるか不安で感動も半減。
やっと辿り着いたSaint-Malo。結局欲しいケ-ブルは見つからず、自転車ケ-ブルで4時間の高速道路の帰路が決定する。
Intra-murosから見えるSaint-Maloの海。今まで見てきたどのブルタ-ニュの街よりも賑やかで都会。土地の匂いといったもののが薄い街に旅の終わりを感じつつ最後の目的地。Le Mont Saint-Michelへ。
ヨーロッパでも潮の干満が最も激しいSaint-Malo湾。満月と新月のあと、引き潮によって沖合い18kmまで引いた潮が猛烈な速度で押し寄せ、かつては多くの巡礼者が命を落としたという言う。海に浮かぶ姿を再び取り戻すため、2010年を目処に橋のプロジェクトが進められている。
あまりにも人が多いので静かな秋に再び訪れることを誓ってUタ-ン。

雨の夜、Alençonを越えて高速をとばすと表面体温が奪われて、寒い・・を通り越して、痛い・・。でもしばらくすると痛いも通り越して熱く思えてくるから不思議。
Saint-Cloudのトンネルを抜けると、0時のしるしにきらめくエッフェル塔のファ-が私たちを迎えてくれた。
ちょうど出発から1週間。ひんやり冷たい空気にさらされて、現実に戻ったような、虚実に戻ったような不思議な感覚が残る。


アドリア海に面した街、リミニの港湾部の都市開発のプロジェクトのためにロ-マ事務所へ。
パリの嵐の中に吸い込まれるように飛行機に飛び乗り、空港を出るとそこは10年ぶりのロ-マ。
真夏のような陽気、聞こえてくるのは蝉の音。コントラストの強い光に街の色が映える。


自分の足で歩き回るロ-マの街は10年前の私には見えなかったものが見えてくる。
建物のスケ-ルが圧倒的。道に対して対角線に据えられた教会。階段や斜面を使った広場は舞台のように演出されている。
見るものに高揚感を与える鍵があらゆるところに隠されている。
気候もいいから人々もおおらかで気持ちがいい。
特別どこかに入らなくてもただ歩き回っているだけで時間があっという間に過ぎていく。


128年にあらゆるロ-マ神を祭る神殿として建てられたパンテオン。
頂点のoculus(ラテン語で目)と呼ばれる採光のための開口部 からもれる光は超現実的。






